ごあいさつ;
横須賀共済病院、呼吸器外科の諸星隆夫と申します。
このたび2017年から2023年までの日本中皮腫研究機構ならびに日本石綿中皮腫学会での理事としての仕事を終え、退任にあたっての一筆を、と関戸好孝理事長より御推薦いただきましたので、ひとことご挨拶を申し上げます。
1)私の自己紹介と横須賀について;
私は遡ること66年前に神奈川県横須賀市で生を受け、以来神奈川県を出ることなく大学を卒業しました。卒業後は初めて都内で独身生活4年間、駆け出しの外科レジデントとして毎日10数時間以上も働きました。もう40年も昔の話ですが、現在の「医師の働き方改革」に照し合せれば、違法な超過勤務の日々でした。呼吸器外科医を志し、その後出身大学の横浜市立大学に戻り大学病院のほか神奈川県立がんセンター、その他ローテ―ト病院を経て1996年より現在の横須賀共済病院に着任し、その後28年間勤務しております。
横須賀共済病院は明治39年に横須賀海軍工廠の病院として開設され、昭和20年の終戦より現在の名称となり、多くの一般市民の患者様の医療を担う横須賀・三浦二次医療圏の中核病院として現在にいたります。横須賀は戦前より大日本帝國海軍の軍港のある街でしたので海軍工廠(造船所)での艦船建造・修理が盛んでしたし、現在も横須賀造船所住友重機械工業、および米海軍横須賀基地では船艦修理も行われています。船内には断熱効果の高い石綿が使用される箇所も多いのですが、石綿の使用は規制~禁止となる以前はマスクでの吸入防禦も遵守されていないことも多く、したがって石綿関連疾患の患者さんも多いという土地柄でした。
2)私の中皮腫診療回顧録;
共済病院着任前には胸膜中皮種は有効な治療法のない疾患で、手術適応と判断して手術しても術後早期再発も多く、私の中ではネガティブイメージの疾患でした。
共済病院の呼吸器内科では石綿健診も行っていますので、年に数人は必ず胸膜中皮腫の患者様が見つかり総合カンファレンスの場に登場します。しかし当時の呼吸器内科部長からは「成績は芳しくないので、よほどの早期と思われる患者さんでないと手術は頼まないよ」と言われていましたので肺癌など”通常の” 呼吸器外科手術に精を出していました。当時は肺癌に対しては拡大手術のピークを少し過ぎ、術前化学療法に期待が持たれたり、また胸腔鏡での手術が脚光を浴び始めた頃でした。
しかし1998年頃から比較的早期ではないかと考えられる中皮種の患者さん達がみつかり、まず胸腔鏡下に病理医が確実に診断を下し得る病変を採取(生検)する必要が生じたことから、その後は中皮腫の仕事が増えるようになりました。2000年以前は中皮腫に対して有効な薬剤も少なく、(有効なシスプラチン+アリムタがデビューしたのは2003年)生検手術で出会った患者さん達の中には「手術ではだめなんですか?」、とおっしゃる方もいらっしゃいました。呼吸器内科部長から、「この方に対しては手術も良いかもしれないね」と言われ、2000年6月以降、手術(胸膜肺全摘術)を施行しましたが、そこから数名は術後1年以上を超える方はいらっしゃいませんでした。しかし風向きが変わったのは2002年10月の上皮様胸膜中皮腫の50歳台の患者様の手術後からでした。6.5cmの一番大きな腫瘍のほか、連続していない2つの小さな腫瘍を有する中皮腫の患者様に対して右胸膜肺全摘術を施行しましたが、術後経過良好で約2週間で退院。切除標本はきれいに取りきれた印象で、病理医からもマージン(切除断端)には腫瘍遺残なしと報告され、その方は20年以上経過した今でも再発なくご健在です。
胸膜肺全摘術を10数例ほど経験し、手技はある程度安定したものの、なかなか良好な治療成績には結びつかず鬱々としていた時期に、医療雑誌(南江堂出版、胸部外科)で胸膜中皮腫(当時の呼称は悪性胸膜中皮腫)の特集の原稿募集があったため、当時の医長と1編ずつ寄稿したところ、2008年1月号で採用されました。医長(山本健嗣先生, 現横浜労災病院、呼吸器外科部長)は「中皮腫の診断」について、私は「中皮腫の治療」について書きましたが、今読み返すとまだ勢いだけで走っている頃の自分を見ているようで気恥ずかしい思いです。この先、比較的早期の患者様を手術することも少なからずあり、その後も、学会や研究会にも演題を申込み、採用されるようになりました。
中皮腫の診断・治療は今ではある程度進歩しましたが、当時はまだ難しい側面は多く、かといって中皮腫のみを扱う学会・研究会やセミナーは殆どありませんでした。しかし兵庫医科大学呼吸器内科の中野孝司教授(当時)が日本の中皮腫診療ではトップランナーのお1人で、兵庫医大でセミナーなどを開催されていることを知り、都合のつく限り出張許可願いを出して年に何回か通いました。2010年には中野先生の主催で中皮腫の国際学会(世界中皮腫会議;International Mesothelioma Interest Group, iMig 2010) が京都で開催され、自施設より2演題、共同演者として1演題を申し込んだところいずれも採用され、またポスター発表の座長(司会)にも指名され、海外からの発表者を含むセッションの司会を担当させていただいたのは大変緊張もしましたが、良い経験となりました。同大学呼吸器外科の主任教授をされていた長谷川誠紀先生とその教室院の先生方とも親しくさせていただき、外科分野でも学ぶ機会が増えました。
またクボタショックをご存じでしょうか。2005年に大手機械メーカー、 クボタ の旧神崎工場( 兵庫県尼崎市 )の周辺住民に アスベスト (石綿)関連疾患が発生しているとの報道をきっかけに社会的な アスベスト健康被害の問題 が急浮上し、環境省が力を入れて石綿健康被害救済の立法化への流れとなった発端です。これを契機に石綿関連疾患/悪性胸膜中皮腫が全国的に脚光を浴びますが、中野先生がその中心的な役割を担われる立場となります。
そのうちの1つの業績として「日本中皮腫研究機構」を立ち上げられ、その機構の1事業として2010年から日本中皮腫研究会(JMIG:Japan Mesothelioma Interest Group)を発足し、年1回の開催でした。第1~5回は、京都で中野先生が会長をされましたが、第6回以降は、2015年、北九州の産業医大、田中文啓教授、2016年、名古屋大、横井香平教授と続き、2017年には横須賀共済病院、諸星が世話人となり横浜の地で開催しました。2018年の第9回、山口宇部、岡部和倫先生の後に、JMIGは日本石綿中皮腫研究会と合併し、日本石綿・中皮腫学会へと移行しました。こちらの活動については当会のHPをご覧ください。
一方、iMig (世界中皮腫会議) は2年に1度世界中の都市で開催されるのですが、幸いなことに、2012年(米国、ボストン)、2016年(英国、バーミンガム)、2018年(カナダ、オタワ)、2023年(フランス、リール)と参加する機会に恵まれました。iMig 2016での米国からの発表の1つに、手術で取り逃してしまうかもしれな小さな病巣に対して、手術の前にICGという色素を体内に注入して中皮腫の腫瘍内に取込ませておき、手術の際にICGを検出する光を胸膜にあてて腫瘍を確認・検出することで取り残すことなく全て切除する、という趣旨のものがありました。発表者のボスとメールで遣り取りして、方法を教示いただき、院内の臨床研究の会議で承認を得て、実際にその効果をみてみるという試験が2017年より開始できました。中皮腫の腫瘍細胞を一切残さずに切除してくるのはかなり困難なことなのですが、実際には腫瘍の検出力が悪く研究は中止となりました。
2020年は新型コロナ蔓延のため予定とおりの豪州、ブリスベン開催ではなく2021年にWeb開催となりました。この会には当院呼吸器外科医長の安藤耕平が一般演題のほか、アジアの女性中皮腫患者に関する特別セッションで発表しています。
昨年、iMig 2023にも出席しました。ここでは、諸星が集学的治療(術前治療~全胸膜切除術~術後補助治療±再発した患者様にも免疫療法+放射線治療で治療可能)で治療成績が向上していることをポスター発表しました。内容は、以前は胸膜肺全摘手術+抗癌剤治療を行ってもたかだか2年程度の予後であったのが、全胸膜切除を含む集学的治療では3~4年は生存可となり、中には5年を超えて無再発で生存中の方も見られるようになった状況を報告したものです。
また2016年のiMigでは米国で多くの中皮腫手術を手がけるフリードバーグ教授に手術見学の希望を伝え快諾をいただいていました。2018年5月、カナダでの第14回iMigでお会いできたフリードバーグ先生に資金が捻出できたことを伝え、同年7月の渡米を承認いただきました。以前カリフォルニア州立大学で1年間学んだ事がありましたが、今回は僅か3週間でした。メリーランド州ボルチモアにあるメリーランド州立大学メディカルセンターにて、毎日手術室に入りびたり胸膜中皮腫以外の手術も見学し、呼吸器外科関連のカンファレンスにも出席、病棟回診にも同行し充実した日々を過ごしました。
また中野孝司先生から、2冊の書籍の分担執筆を依頼いただき執筆することができました。1つは『胸膜全書~胸膜疾患のグローバルスタンダード~』医薬ジャーナル社発刊で、他の1つは中皮腫診療のすべてを網羅した英文教科書『Malignant Pleural Mesothelioma /Advances in Pathogenesis, Diagnosis and Treatments 』Springer社発刊、です。さらに、中皮腫瘍取扱い規約(金原出版:第1版,2018年11月刊行)では2017年12月に初回会議ののち「3.組織採取法と胸腔鏡所見」の項を5名の委員とともに責任者として執筆担当させていただきました。これらは自分としては大変名誉なことであり、またあまり執筆業績の少ない自分の足跡としては身に余る思いです。
2)諸星の近況;
帰国後もボルチモアでの経験を踏まえ、多くの胸膜中皮腫患者様の治療を担当させていただいております。最近は臓側胸膜の切除方法もNon-incisional法というものを取り入れ、より治療成績の向上を期待しています。そしてこの数年では直接患者様をご紹介いただく機会がさらに増え、また神奈川県内など近隣の医療機関での胸膜中皮腫に対する全胸膜切除術の手術支援を依頼されるようになり、自施設以外への出張の機会も増えました。
横須賀共済病院呼吸器外科での私以外の診療医師(現在、4名) は1998年以来、横浜市立大学外科治療学教室よりローテーションで1~4年の期限で派遣され、私は彼らと充実した呼吸器外科の診療を続けてまいりました。しかし2023年定年退職を迎えました。次期部長は1年間待機の状態でしたが、本年4月、横浜市立大学外科治療学教室より後輩の石川善啓先生を迎えることができました。
石川先生は肺癌などの呼吸器外科治療については、胸腔鏡手術やロボット支援下での低侵襲手術を得意としており有名で、一般診療においては速やかにバトンタッチができました。また彼とは横浜市立大学で胸膜中皮腫の手術の際に計10回ほど手術支援に伺っており、さらに本年は手術適応となる患者様の件数も多めであり、Non-incisional法による全胸膜切除術も既に数件習得し、胸膜中皮腫診療に対する情熱がより深まったようです。
私事ですが、2023年に左大腿を人工骨に置換する手術を受けた後ですので、外科医として1日を手術づけで過ごすのはなかなか厳しくなってきておりました。おかげさまで、これでもう諸星はほぼ外科を引退し、来年からはメスを握ることのない一般診療医師として過ごしていくことになりました。一方で、中皮腫診療に対する興味は尽きませんので、今後も当学会への参加は継続するつもりです。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2020年2月 左端から、浦田 望、三ツ堀 隼弘、諸星、安藤耕平、荒井智弘 先生方(敬称略)
2024年9月 前列;渋谷 駿、浦田 望。後列;石川善啓、諸星、根本大士 先生方(敬称略)